違いを認めず選択肢すら与えない時代遅れな日本社会は世界で笑われている

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– Piccadilly Circus

 

Sonthéは、日本のことについて聞かれたらいい面も悪い面も含め、知っている限り事実を伝えるようにしています。

幸いにも、友人や知り合いには日本を良く思っている方が多いのですが、たまに日本について何かを賞賛されても、素直に喜べない面もあります。

 

同性婚を未だに認めないことと、昨年の夫婦別姓を認めない民法は合憲との最高裁の判決は海外メディア(特に英語圏)では基本的に批判されています[1]

また、例の女性タレントの件も性差別と言われています[2]

参照: [1.a] Japan upholds rule that married couples must have same surname

[1.b] Japan top court upholds law on married couples’ surnames

[2] Downfall of Japanese TV’s girl next door highlights wider industry sexism

 

少なからず、権利を主張している、不都合が生じている方がいるのにもかかわらず、その方々の主張・権利を認めず拒否するのは、男尊女卑の面もあり、少数派を認めず多数派のみが存在を社会的に認められる、時代遅れな国家を表していると思います。

男尊女卑といったのには理由があり、婚姻による姓の選択に関する厚生労働省の調査によると、夫(男性)の姓を選択する夫婦が、初婚同士・初婚再婚の組み合わせ・再婚同士のカップルに関わらず、9割以上が夫の姓を選択しています。

結婚において姓の選択問題が生じることも少なくないようですし、これが別姓や複合姓が諸外国のように認められれば解決するでしょう。

 

そもそも婚姻は両者間、もしくは古典的な考えであれば両家間の個人的な問題のはずなのに選択肢すら与えず、意見を述べると否定されるというのが根本的に間違っていると思います。

 

いかに日本が素晴らしいか、世界から賞賛されているのかを日本のメディアが日本語で日本人向けに言うのに、負の面を言わないのはなぜでしょうか。

いいところだけにを向けて、悪いところは目を瞑る。それでいいのでしょうか。

 

その点、日本語以外で日本以外のメディアから日本を見るのはいいことなのかもしれません。

あらゆる面で中立な立場をとるメディアは少ないですが、それでも第三者の意見は重要です。

 

同性婚が先進国を中心に認められているのは、両者の関係を社会的に築く権利を得ることにあると思います。

例えば、賃貸契約や住宅ローンを組むこと、各種保険への加入の際に保険金受取人にパートナーを指名できること、病院等の制限のある面会時に両者の関係を法的に証明できる、クレジットカードの家族サービスを利用できる等、大きなことから小さなことまで深く関わっています。

男女が婚姻すれば当たり前のように得られる権利を与える法律がないのが昨今問題になっているのでしょう。

同姓愛者が増える、出生率低下が加速するといった意見は間違っていますし、衰退傾向にある結婚式場等、婚姻関係のサービス業は活性化するはずです。

 

英国(イングランド・ウェールズ)を例にとれば、2005年よりCivil partnership制度により、違いはあれども異性間の婚姻と同等の権利を同性カップルにも認められ、2014年からは同性婚も合法となりました。

スコットランドと北アイルランドでもCivil partnership制度はあり、なおかつスコットランドも同性婚を認めています。

英国はその正式名称「グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国」の通り、4国が集まった連合王国のため、各国が法律を定めています。そのため、北アイルランドでは同性婚は現段階で認められていません。

 

アイルランド共和国の国民投票での同性婚の可決も記憶に新しいかと思います。

フランスでは元よりPACS (Pacte civil de solidarité)が1999年に民法で認められ、カップルの社会的権利が認められるようになりました。現在では同性婚も認められています。

アメリカ合衆国でも全州で同性婚が2015年より認められるようになりました。

 

宗教や個人の思想で問題はあれども法的に認められている国はヨーロッパと南北アメリカを中心に増えています。

比較的宗教問題の少ない日本はまた別の問題がはらんでいるのかもしれません。

 

やはり、経済が急激に潤って先進国になった日本は国民の思想の部分では未だに追いついていないのかもしれません。

もしくは伝統を大切にしている非常に保守的な国なのでしょうか。

それが治安の良さに繋がっていることも確かでしょうが、需要のある権利すら与えない日本はこれから先も変わらないのでしょうか。

2 thoughts on “違いを認めず選択肢すら与えない時代遅れな日本社会は世界で笑われている

  1. しばもどき

    はじめまして。こんにちは。
    2016年にご投稿なさった記事に対して、「時代遅れ」ならぬ「時期遅れ」のコメント、ご容赦くださいませ。
    「そうだ、そうだ」とうなずきながら、何度も拝読いたしました。
    私は、日本に生まれ育ち、今も日本で暮らしている日本人ですが、日本のテレビ番組で「日本礼賛」している番組が大嫌いで、すぐにチャンネルを替えます。
    しかも、「外国人」を呼んで、日本の「素晴らしい技術」をひけらかしますが、その「外国人」というのが、なぜかほとんど欧米の白人。なぜ、アジア人ではいけないのでしょうか?「ほら!欧米の人たちがこんなにも賞賛している!どうだ!日本はすごいだろ!」というメッセージを押し付けられている感じがしますし、そこまでしないと自信がないのか?とも思い、逆に自分の国ながら情けなく感じたりします。それに、「日本の技術」が素晴らしいのなら特段の演出など必要ないと思いますが、高い高いゲタを履かせて、ゴテゴテに演出し、アピール感が気持ち悪いと感じます。
    記事では、日本の構造や法律についての記述がございましたが、もっと小さな部分でも、「違いを認めない」「選択肢を与えない」ということは、この日本では多分にございます。
    例えば、「自分と違う意見をそもそも聞くことすらしない」ということです。
    意見の内容そのものではなく、冷静にその意見を聞くことはおろか、単に「意見をされた」ということ自体に怒りを持つという人々や場面を多く見ます。
    そもそも、人間は全員違っていて、自分のコピーなどいないにもかかわらず。
    だからなのか、この国の変化は遅々としています。
    しかし、世界や状況は確実に変わりつつあり、日本のオジサマたちが若かった頃には特別問題にならなかったようなことでも、今や問題となり、日大の「悪質タックル問題」やスポーツ界でのパワハラ問題などとして、「日本の時代遅れ」として表出していますよね。
    「時代が変わっている」ことに対して、ついていけてないのでしょう。
    もちろん、今日の日本の発展は今や時代遅れとなってしまった人々の努力によって成り立っているということは忘れてはいけません。
    ですが、刻一刻と変化はしています。
    いつまでも「高度成長期」の夢ばかり見てはいられません。
    「違いを認められない」日本は、自分からは変わりたくないのかもしれませんが、世界や取り巻く状況や時代の変化という外的な要因によって、「仕方なく」変わらなければならないという「非自発的」な変化をしようとはしているのでしょう。
    しかし、「非自発的」であるので、はぼ空回りしている感が否めません。
    昨今、問題となっている外国人雇用に関する「入管法改正」などは、外的要因により「非自発的」に変化を「迫られ」、焦って拙速な結論を出そうとしている様態が現れている代表的なものではないでしょうか。
    「年越し派遣村」「ブラック企業」などに代表されるように、以前は同胞である日本人を「奴隷」のように扱いましたが、今は人手不足。日本人をそのように扱ったら働いてくれません。だったら、今度は外国人を「奴隷」にしよう!という考えがこの法改正の向こうに見えてなりません。
    日本人同士でも「違いを認めない」「違う意見を聞くことさえしない」のに、生まれ育った環境も言葉も習慣も考え方も違う外国人の方々を「きちんと、一人の人間として」受け入れることができる国だとは思えません。「日本に来たからには、日本人の言うことを黙って聞いておけばいいんだ!」という、それこそ「奴隷」として扱う態度で接することになるだろうと思えてきます。
    私は広島在住ですが、かつて、島の牡蠣の殻を外す作業をしていた中国の方が、そこの会社の社長を殺害するという事件が起こりました。
    報道によりますと、労働環境が劣悪で、人間扱いをしておらず、それこそ奴隷のような扱いでした。
    もちろん、殺人を犯してはいけないことですが、その中国の方にも同情が集まりました。
    そのような悲劇が起こらないことを願うばかりです。
    この度、拝読させていただきました貴方の記事で、多くのことに気づき、考える機会をいただきました。ありがとうございました。
    これまで、一度もこのようにコメントを残すことはなかったのですが、この度、どうしてもコメントを残したいと思いました。
    余談ではありますが、記事の中に「第3者」という表記がございました。
    これは「第三者」がよろしいかと思います。
    個数などを数える時には算用数字が適切ですが、この「第三者」は「私」でも「あなた」でもなく(当事者ではなく)、「外部の人」という意味を持つからなのですが、私自身が校正という仕事をしているので職業病なのか、見つけて「一つの意見」として残させていただきました。
    細かいことではありますし、意味は十分表されていますので、お気になさらなくても結構です。
    また、誤字・脱字については十分気をつけておりますが、このコメントにございましたら、先にお詫びいたします。
    また、ご投稿記事を拝読いたします。

    1. Sonthé

      非常に参考になるご意見ありがとうございます。
      2年前に書いた記事の内容が2018年の今も日本社会に当てはまることに日本の「保守性」を感じました。
      その伝統を重んじるのが日本という意見もあるかと思いますが、一方で外国(先進諸国)と常に自意識過剰に比較しながら、日本は日本という都合のいい解釈を続け、結果として世界基準から遅れをとっている自称先進国になっているのかと思います。
      一つの事件を例に挙げていただきましたが、そのようなことが今後外国人雇用者が増えると増えてきてしまうのかもしれません。
      今世界基準に追いつかないと日本に国際社会での将来はないようにも思えます。

      また、誤字についてのご指摘ありがとうございます。記事に修正を加えました。

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